2011年3月11日(金)海上自衛隊横須賀より被災地へ全出港(日報版修正転載)   

2011年 03月 17日
東京電力管内の私たち、引き続き大規模停電回避の為、節電に努めましょう。

投稿しようとした今も横浜は揺れました。未曾有の巨大地震発生から、まもなく1週間が経過しようとしていますが、改めて地震発生直後から現在に至るまでの記録を3月13日『日報』投稿分を転載します。
東北地方から関東までを未曾有の災害が襲いました。現在、「日本の力」を結集した救助捜索救援活動が夜を徹して続けられています。一人でも多くの大切な命が救われる事を切に切に願いながら投稿致します。そして、我が身を挺して救助捜索救援活動にあたられている全ての皆様の無事を天に強く祈り続けております。2011年3月11日金曜日午后2時46分。三陸沖(牡鹿半島の東南東、約130km付近、深さ約24km(暫定値))を震源とする、「東北地方太平洋沖地震(「東北関東大震災」)が発生しました。地震の規模はマグニチュード9.0。地震発生直後より続々と横須賀を出港される海上自衛隊さんの艦艇さんがたの記録を投稿します。
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横須賀本港内に幾度も幾度も鳴り響く艦艇さんがたの汽笛。米海軍基地内からもサイレンが鳴り響きます。「非常事態」。14時51分、地震発生から6分後。汐入桟橋から『YOKOSUKA軍港めぐり』のSea friend V号さんが即座に避難開始。一刻も早く東京湾へ避難しないとなりません。海上自衛隊さんの艦艇さんがたが続々と出港される前に。迅速でした。
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15時28分、出港準備が着々と進む横須賀本港内に海上保安庁さん放射能測定船さんが来られました。
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15時32分。横須賀本港内で一番手に出港されたのは、吉倉桟橋最も奥にいらした試験艦「くりはま」さん。
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15時46分。続いて出港されたのは、逸見岸壁より試験艦「あすか」さん。
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15時54分。護衛艦「はるさめ」さん出港。
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この時、出港をお手伝いされる大型曳船さんがたも横須賀本港内に集結。大型曳船YT74,66,68号さん。
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「はるさめ」さんに続いて出港される護衛艦「おおなみ」さんに既についておられるのは、大型曳船YT79号さん。新井掘割水路の先、長浦港前の直線が僅かに見えます。長浦港には、護衛艦「さわゆき」さん、「おおよど」さんがいらっしゃいます。そちらにも大型曳船さんがついておられる筈です。掃海艦「やえやま」さん、掃海艇「のとじま」さん、「つのしま」さん、海洋観測艦「すま」さんは自ら出港出来ます。
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16時2分。特務艇「はしだて」さん出港。「はしだて」さんは「病院」でもあります。
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続々と出港される艦を見護るおやしお型潜水艦さんがた。横須賀本港内にも津波到達が予想されますが、皆様、艦上待機中。
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16時3分。護衛艦「おおなみ」さん出港。
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逸見岸壁には、イージス護衛艦「ちょうかい」さん、「きりしま」さんのお二方も出港準備が進んでいました。「ちょうかい」さんは佐世保よりお越しですが、横須賀より被災地へ向かわれるでしょう。
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16時18分。護衛艦「たかなみ」さん出港。これにて、吉倉桟橋にいらした護衛艦さんがたは、全て出港。吉倉桟橋に残るは、補給艦「ときわ」さん、海洋観測艦「にちなん」さん、「わかさ」さん。
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16時22分。「たかなみ」さんが横須賀本港を出てゆかれます。おやしお型潜水艦さんの皆様、艦上待機中。
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16時22分。イージス護衛艦「ちょうかい」さん、逸見岸壁を離れられました。
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16時36分。急速に潮が引き始め、ヴェルニー公園前は海底が見え始めていました。大潮の時期にも、海底が見える程に潮が引く事もありますが、平常時は少しずつ緩やかに潮が引いてゆく為、左手の排水口前に「瀧」が出来る事はありません。急速に潮が引いている事が判ります。津波の前兆「引き波」です。間もなく、津波第一波がやって来ます。地震発生から、1時間50分が経過。
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この時、横須賀本港内は、内火艇さん、米海軍さんサイドの作業艇さん、曳船さんがたが忙しく行き交っていました。ですが、混乱は全くありません。
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いよいよイージス護衛艦「きりしま」さん出港です。横須賀本港内の護衛艦さんがた、「きりしま」さんにて全出港。
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少し前まで、美しい晴天であった横須賀本港上空。一転、にわかにかき曇り、まだ日の入り刻ではないのですが、辺りは暗くなり、終末感さえ覚える極めて不穏な空のもと、動じる事ない「きりしま」さんのギラつく鋼の光沢が凄みを感じさせました。津波第一波が迫る中、僅かな雲間から射す陽光を照り返す「きりしま」さんの凄みを目の当たりにしました。「護衛艦」。まさに、その通りです。「護る」。日本を護る。未曾有の災害に襲われた東日本。「日本の底力」、その地力を発動する時が来ました。
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16時59分。既に津波第一波が横須賀本港に到達し始めていました。海面が急速に上昇しつつある中、静かに「きりしま」さんが出てゆかれます。動じる事なく。
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17時40分。「きりしま」さん出港時が津波第一波到達でした。その後、第二波が備え、一旦、ダイエーさん上階へ退避しましたが、情報、東京湾に避難されているシーフレンドさんがたから入る無線などを確認し、汐入桟橋のシャトレーゼさん内に移動しました。シャトレーゼさんの建物内から記録していますので、少しガラスに写り込みがあります。潜水艦さんがた以外の全ての艦艇さんがたが出港された横須賀本港内にて、大型曳船さんがたがじっと待機されていました。間もなく、日の入り刻です。
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17時42分。日の入り刻です。らっぱの音が聴こえました。自衛艦旗降下の時刻となりましたが、海上自衛隊さんの1日が終わる訳ではありません。夜が訪れた後、潜水艦さんがたも出港されました。
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18時46分。続々と続々と、海上自衛隊さんの皆様が駆け足に近い徒歩で、横須賀地方総監部さんへ向かわれ始めました。田浦・船越でも同様の光景が観られた事と思います。もしかすると、皆様は横須賀地方総監部さんへ向かわれる方のみではなく、船越の自衛艦隊司令部までゆかれるのかもしれません。国道16号は渋滞中。車で埋め尽くされていました。車では移動出来ません。電車も全て止まっています。歩く、もしくは自転車のみです。出来る事なら、長浦港へ行きたかったのですが、私など行ってはなりません。長浦港からも全ての艦艇さんがたが出港されている筈です。ですが、記録の写真がありませんので、この日、地震発生直前の『YOKOSUKA軍港めぐり』の記録にて、長浦港にいらした艦艇さんがたを投稿します。
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長浦港の船越岸壁には、護衛艦「さわゆき」さん、後方は佐世保よりお越しの護衛艦「おおよど」さん。
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今回、初めてお目にかかった護衛艦「おおよど」さん。佐世保より横須賀にお越しでしたが、災害派遣へ向かわれる為に来られた事ともなりました。
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田浦中学校前には、掃海艇「つのしま」さん。
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その前方には、掃海艇「のとじま」さん。「のとじま」さんの傍らに黒いゴムボートが見えます。海上自衛隊さんの「爆発物処理班=EOD員」さんがたが駆使されるゴムボート。重要な存在です。
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艦船補給処前には、掃海艦「やえやま」さん。掃海艦さんがたは、2隻のゴムボートを積んでいます。「爆発物処理班=EOD員」さんが駆使されるゴムボート。大津波が海辺を襲い、家屋、車輛、何もかも呑み込みました。海岸線付近は、痛ましい残骸で埋め尽くされています。大柄な艦艇さんがたは近づけない海岸線付近、津波の残した海水の引かぬ陸地までゴムボートは入る事が出来ます。
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掃海艦「やえやま」さんとイージス護衛艦「ちょうかい」さん内火艇さん。内火艇さんも重要な存在です。既に、「ちょうかい」さんは、津波に押し流され、福島県沖15kmを漂流していた男性を無事救助されました。こちらの内火艇さんの映像をご覧になられましたでしょうか。また、「たかなみ」さんの内火艇さん2隻が孤立した被災者27名を救助されたそうです。
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護衛艦さんがたは、2隻の内火艇さんを積んでいます。1隻に20名ほど載れるそうですので、救助の際の重要な存在です。
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内火艇さんがたは、大柄の艦艇さんがたが入れない、通れない地点に入ってゆく事が出来ます。
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そして、「爆発物処理班=EOD員」さんが駆使されるゴムボート。こちらは掃海艦「やえやま」さん艦長チーム。高速ですし、内火艇さんよりも更に浅い地点まで入ってゆく事が出来ます。掃海艦さんは2隻のゴムボートを積んでいます。そして、何より、「EOD員」さんがいらっしゃるのです。皆様は、ダイバーさん。そして、爆発物処理のみではなく、救助もされます。
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こちらは、NISSAN CUP神奈川トライアスロン大会のスイム競技の際、警備救助をなさった横須賀水中処分隊の皆様。体調不良により競技を続けられなくなった選手の方をゴムボートで搬送。
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ゴムボートは、上陸出来る程です。また、10名ぐらいは載る事が出来ます。
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しかも、EOD員さんはゴムボートを担いで歩かれたりもします。ゴムボートと云っても、私たちがよく知るマリンレジャーのゴムボートとは違います。決して軽くはありません。むしろ、かなりの重量があります。桟橋に引き揚げられる際は、小型のクレーンを使います。
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何事かあり、ゴムボートさんがひっくり返っても問題ありません。自力で復旧できます。
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さまざまな障害があり、ゴムボートさんのエンジンがかけられない場合でも、オールで漕いでゆかれます。かなりの馬力で。EOD員さんには、これまでの実績があります。昭和41年2月4日羽田沖に全日空機が墜落、救助活動。昭和57年2月9日羽田沖に日本航空機が墜落、救助活動。平成4年7月12日北海道南西沖地震災害に対する災害派遣。北海道南西沖地震の際は、大津波が奥尻島を襲い、激甚な被害と大変多くの大切な命が津波に奪われました。今回も、EOD員の皆様が被災地へ向かわれているのですが、まだ詳細が判っていません。長浦港にいらした掃海艦「やえやま」さん、掃海艇「のとじま」さん、「つのしま」さんは勿論、土曜日の朝現在の確認ですが、出港されています。
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こちらは、海洋観測艦「すま」さん。「海洋観測艦」のお名前の通り、今回の大変規模の大きな海底での地震発生のメカニズムを解明する上でも、重要な存在であると思います。
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こちらも、海洋観測艦さんがたです。「にちなん」さん、「わかさ」さん。出港時の記録がありませんので、地震発生直前(約10分前)の記録にて。
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全ての艦艇さんがたが重要な存在であるのですが、補給艦「ときわ」さんも重要な存在であります。海岸線付近に激甚な被害が出ていますので、洋上での給油が必要になる筈です。給油のみではなく、既に「ときわ」さんより、宮城県長沼市へ応急糧食3,000食がMH-53Eさん(ヘリコプターさん)にて輸送完了したそうです。
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そして、ヘリコプターさん。こちらは、哨戒ヘリコプターSH-60J80号さん。護衛艦さんがたの「艦載ヘリコプター」さん。既に、「はるさめ」さんのヘリコプターさんが気仙沼で13名を救助されています。「きりしま」さんのヘリコプターさんは、鹿妻小学校へ物資輸送されたそうです。
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2011年3月12日早朝の横須賀本港。全ての艦艇さんがたが出港されていました。どなたもいらっしゃらない横須賀本港を初めて目にしました。長浦港へも行きたかったのですが、津波などがやって来た場合、横須賀で一睡もせずに朝を迎えていましたので、避難する体力があるとは思えず断念しました。横須賀本港、長浦港に一隻の艦艇さんがたもいらっしゃないと云う状況はあり得ないのですが、あり得ない激甚な災害が起きたのです。現在、昼夜を違わず総力を結集した救助捜索救援活動が行われています。一人でも多くの大切な命が救われる事を切に切に願い、そして、我が身を挺して救助捜索救援活動にあたられている全ての皆様の無事を天に強く祈り続けております。

また、現在、節電の為、エアコンを止めています。皆様も節電を。電力が必要な地点へのご配慮を。

by brristol | 2011-03-17 21:41 | 海上自衛隊へ行こう